南京事件における虐殺の存在否定論:歴史的事実と学術的根拠への挑戦
歴史修正主義の事例として、しばしば取り上げられるのが、1937年12月に旧日本軍が中華民国の首都南京を占領した際に発生したとされる南京事件における「虐殺」の存在を否定、あるいは著しく矮小化する主張です。本稿では、この「南京事件における虐殺の存在否定論」が依拠する根拠とされている論点を提示し、それがなぜ歴史的事実や学術的根拠に反するのかを、具体的な資料や研究成果に基づき詳細に解説いたします。
南京事件における虐殺の存在否定論とは
南京事件は、1937年12月13日の南京陥落から数週間にわたり、旧日本軍が多数の中国人捕虜や非戦闘員を殺害し、略奪、強姦などの行為を行ったとされる出来事です。国際社会、および日本の歴史学界の主流においては、大規模な虐殺があったとの認識が共有されています。
しかし、一部の論者からは、南京事件における虐殺の存在そのものを否定したり、その規模を極めて限定的なものと主張したりする意見が提出されています。これらの主張は、主に以下のような論点に依拠しています。
- 「虐殺」そのものの否定、または規模の著しい矮小化: 多数の殺害行為はなかった、あるいはごく一部の偶発的な事件に過ぎず、「虐殺」と呼べるようなものではないという主張です。犠牲者数も数千人程度に過ぎないとされます。
- 資料の信頼性への疑問: 南京事件の証拠とされる外国人(第三者)の証言、中国人側の資料、写真などは、中国共産党や国民党による「抗日プロパガンダ」の一環として捏造されたものであり、信頼できないとする主張です。また、東京裁判の判決も政治的偏向があるとされます。
- 合法的な戦闘行為・捕虜の処刑: 殺害されたのは、便衣兵(軍服を脱ぎ捨てた敗残兵)や国際法に違反するゲリラであり、合法的な戦闘行為あるいは捕虜の処刑であったため、「虐殺」ではないという主張です。
- 死体数の矛盾と数字の問題: 当時の南京の人口や、証言される死体数、埋葬記録などに矛盾があるとし、数十万規模の虐殺は物理的に不可能であったと主張します。
歴史的事実と学術的根拠からの反証
上記の否定論が、いかに歴史的事実や信頼できる学術的根拠に反するものであるかを、以下に具体的に解説します。
1. 広範な証拠の存在とその多様性
南京事件における大規模な虐殺の存在は、単一の資料や特定の集団の主張によってのみ裏付けられているわけではありません。多岐にわたる信頼性の高い証拠群によって裏付けられています。
- 日本人側の証言・日記・手記: 日本軍兵士自身が残した日記、手記、戦後の証言には、当時の南京市内で多数の非戦闘員や捕虜が殺害されたことを記したもの、あるいは殺害行為に直接関与したことを告白したものも少なくありません。例えば、元兵士の日記や書簡は、その多くが当事者の個人的な記録であり、プロパガンダ目的で作成されたものではありません。多くの研究者(例えば、笠原十九司氏や秦郁彦氏などの研究)がこれらの資料を分析し、当時の状況を再構築しています。
- 外国人第三者の記録: 南京城内に残された欧米人宣教師、医師、ジャーナリスト、ビジネスマンらの記録は、虐殺の存在を強く示唆しています。ジョン・ラーベの日記(『南京の真実』)、ミニー・ヴォートリンの日記、国際委員会報告書、ジョージ・スマイスの調査報告(スマイス報告書)などは、彼らが直接目撃した惨状や、多数の市民が助けを求めていた状況を詳細に記しています。これらの記録は、それぞれの人物が異なる立場から独立して作成したものであり、相互に内容の共通性が見られることから、その信頼性は非常に高いと評価されています。例えば、東京裁判でもジョン・ラーベの証言や日記が証拠として提出されています。
- 中国側の資料: 当時の中国政府機関の報告書、遺族の証言、埋葬記録、そして南京大虐殺紀念館に収蔵されている被害者の遺品などは、事件の悲惨さを今に伝えています。これらの資料は、当然ながら中国側の視点から作成されたものですが、外国人による証言や日本人自身の記録との照合によって、その信憑性が確認されています。
- 国際軍事裁判の認定: 極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件が明確な戦争犯罪として認定され、松井石根司令官らが有罪判決を受けました。同裁判の判決文は、具体的な証拠に基づき、日本軍が南京で大規模な殺害を行ったことを認定しています。
2. 資料の信頼性への批判への反論
否定論者は、上記の資料の一部または全体を「捏造」や「プロパガンダ」と断じることがありますが、これは学術的な検証を経た主張ではありません。
- 外国人資料の客観性: 南京に留まった外国人たちは、日本軍の占領下で中立的な立場を保とうと努め、生命の危険を顧みずに被害者の保護に尽力しました。彼らの記録は、当時の混乱の中で目撃した事実を冷静に記録しようとしたものであり、特定の政治的意図をもって創作されたとは考えにくいとされています。複数の異なる国籍、職業の人物による証言が一致している点は、その信頼性を裏付けています。
- 一次資料の学術的検証: 多くの歴史学者は、日本側、中国側、第三者側の多角的な一次資料を批判的に比較検討することで、南京事件の全体像を再構築してきました。資料間の矛盾や食い違いがあれば、それを分析し、より確からしい事実を導き出すのが歴史学の営みであり、単に「信用できない」と切り捨てることは学術的態度とはいえません。
3. 「便衣兵」論の誤謬と「虐殺」の定義
「殺害されたのは便衣兵であった」という主張は、以下のような問題点から学術的に否定されています。
- 無差別殺害の証拠: 多数の外国人証言や日本兵の証言は、非戦闘員、女性、子どもを含む無抵抗な市民が殺害されたこと、捕虜が尋問されることなく処刑されたことを明確に示しています。たとえ一部に便衣兵がいたとしても、それが無差別な殺害行為を正当化する理由にはなりません。
- 国際法の無視: 戦闘中に武装解除され、捕虜となった兵士や、軍服を脱ぎ捨てて民間人に紛れた敗残兵であっても、国際法上の適切な手続きなしに処刑することは許されません。南京事件では、投降した兵士が大量に殺害された事例が多数報告されており、これはハーグ陸戦法規などの当時の国際法に明らかに違反するものです。
- 「虐殺」の定義: 歴史学における「虐殺」とは、無差別的・非人道的な殺害行為を指し、非武装の市民や、交戦能力を失った捕虜への不法な殺害を含む概念です。犠牲者の数が数十万人規模であったか否かに関わらず、非武装の多数の人間が不法に殺害された事実は、多くの証拠によって確認されています。
4. 犠牲者数に関する学術的議論とその背景
否定論者は、「30万人が殺されたというのは不可能」として、虐殺の存在自体を否定しようとします。しかし、学術界では犠牲者数について議論があるものの、それは「虐殺がなかった」ことを意味するものではありません。
- 犠牲者数の幅: 秦郁彦氏(日本の代表的な実証研究者の一人)の研究では、犠牲者数を約4万人と推定していますが、笠原十九司氏(同)は約20万人と推定しています。これらの数字の幅は、資料解釈の違いや、どこまでを「虐殺」に含めるか(例:城外での殺害行為や捕虜の不法殺害を含むか)によって生じるものであり、いずれの研究においても、数万人規模の大規模な非合法な殺害行為があったという認識は共通しています。
- 「30万人」という数字の由来: 「30万人」という数字は、東京裁判の判決文に記載されたものであり、当時の中国国民政府が発表した犠牲者数に由来します。学術的には、この数字の正確性については異論もありますが、これはあくまで「具体的な数字」に対する議論であり、「虐殺そのものがなかった」という主張とは全く次元の異なるものです。
- 物理的な可能性: 南京城内および周辺地域での大規模な殺害は、多くの証言によって裏付けられています。短期間に数万、数十万人が殺害されたという事実は、現代の大量殺戮の歴史を鑑みても十分に起こりうることです。
まとめ:歴史修正主義の問題点
南京事件における虐殺の存在を否定する主張は、上記の通り、多角的かつ確固たる歴史的事実や学術的根拠によって反証されています。これらの否定論は、特定の資料を都合よく切り取って利用したり、歴史的文脈を無視したり、論理的な飛躍によって結論を導き出したりする点が共通しています。
歴史学は、厳密な資料批判と多角的な証拠の検証に基づいて事実を再構築する学問であり、特定の政治的・思想的意図のために事実を歪曲することは許されません。南京事件に関する歴史修正主義は、学術的厳密性を欠き、国際社会の共通認識や被害者の尊厳を軽視するものであり、その問題は極めて大きいと言えます。歴史学を学ぶ者として、私たちはこのような歴史修正主義の試みに対し、客観的な事実と論理に基づいた批判的検証を行う責務を負っています。